聖書の民、イスラエルの歴史は、今から約4000年前の族長アブラハム、イサク、ヤコブの物語に遡ります。その歴史は神と民とのドラマであり、滅亡と再生の波瀾万丈の歴史物語でもあります。その歴史の中から神の国の宣教者、受難と復活のイエス・キリストが誕生します。
聖書は最初巻物の形をとって羊皮紙やパピルスに書き写されてきましたが、2世紀頃迄に冊子本の形が使われ始めました。ヘブライ語写本では、7世紀以降母音とアクセント付きの例が現れ、ギリシア語写本では、9世紀頃からアクセント、句読点を付けて小文字で書かれるのが一般化しました。
キリスト教は、1世紀、ユダヤ人(ユダヤ教徒)であるイエスによるユダヤ教内部の改革運動から出発・発展したものでした。キリスト教が教典としている聖書は、ユダヤ教の教典であるヘブライ語聖書(旧約聖書、初代教会ではそのギリシア語七十人訳)に新約聖書(ギリシア語)を加えたものです。
イエスの思想は広く伝えられ、彼をキリスト(神が選んだ「救い主」の称号)と告白するキリスト教が誕生します。初期にはローマ帝国の迫害を受けましたが、4世紀以降は国家権力と接近しながら拡大しました。その神学や芸術は人類の知的遺産や文化の形成に大きく寄与しました。
1549年にフランシスコ・ザビエルが日本に伝えたキリスト教は、1587年の豊臣秀吉の伴天連追放令を皮切りに、弾圧から禁教への道を歩んでいきました。しかし、信仰は密かに継続され、幕末には信仰が再興され、1873年のキリスト教禁制の高札撤去以降、次第に教えが広まりました。
伝来してきたキリスト教は近畿、さらに関東まで広がりましたが、キリシタン大名や島原の乱などで知られるように、普及の中心は九州でした。有名な「踏絵」や「かくれキリシタン」も九州での出来事です。鎖国末期に新たにキリスト教がもたらされたのも九州で、以来、布教の一つの中心になりました。
ドージャー記念室では、西南学院創立者であるC.K.ドージャー(1879年-1933年)の机や彼の一家が奏で、楽しんだピアノを始め、ドージャー使用の聖書、日記などを展示しています。これら学院の創成期を髣髴させる品や写真で当時の雰囲気を味わってください。
卓上の日記は、1928年、ドージャーが49歳の時に記したものです。当時院長であったドージャーが、日曜日を安息日としてキリスト教行事以外の活動参加を禁止したことで、学生と激しく対立し、院長辞任の引き金となった「日曜日問題」が起きた時代です。日記の行間には彼の愛と苦悩が凝縮されています。
特別展の際に用いる展示スペースです。
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1階と2階をつなぐ階段は、長年にわたり多くの生徒たちが昇降したことで、段板は、中央がゆるくくぼみ、表面には木目が浮き出ています。